スタッフ

コーチ 阿部吉朗

「あったらいいながある。」
を目指して。

多くの子ども達がスポーツを楽しめる環境つくりをしていきたい。
スポーツから学び、スポーツが本来持っている力で、つくばを豊かにしていきたい。

PROFILE

<経歴>【JFA公認指導者ライセンス】

つくば市立並木小学校/つくば市立並木中学校/常総学院高等学校/流通経済大学

<主なJクラブ>

・FC東京

・湘南ベルマーレ

・ジュビロ磐田

・松本山雅FC

<主な実績>

・茨城県国体代表 全国ベスト8

・関東大学選手権 準優勝

・総理大臣杯全日本大学サッカートーナメント ベスト8

・第81回天皇杯全日本サッカー選手権出場(茨城県代表)

・関東大学選抜

・全日本大学選抜

・関東大学サッカーリーグ2部 /ベストイレブン/得点王

・デンソーチャレンジカップ準優勝/優秀選手賞/得点王

・デンソーカップ優勝(日韓戦)/優秀選手(ベストMF)/最優秀選手賞(MVP)/得点王

・Jリーグヤマザキナビスコ杯優勝(現ルヴァン杯)

<指導歴>

2019茨城県トレセンリーグ クラブB監督

2019茨城県トレセンリーグ 優勝

MESSAGE

小学校3年生の時に茨城県つくば市に引っ越し、そこで兄と共にサッカーを始めた。当初はセンターバックとしてプレーし、その後サイドバックとしてもプレーした。中学校進学後はミッドフィールダーやフォワードとしてもプレーした。1996年、「ナイター施設さえあれば良い」と強豪校ではなく、地元の常総学院高等学校へ進学。質を量でカバーすべく猛練習を続けた。3年時には茨城県選抜として神奈川国体に出場した。高校時は、MFだが、この時はサイドバックとして登録されていたという。

1999年に流通経済大学へ進学し、サッカー部へ入部。まだ強化に力を入れたばかりの部ではあったが厳しい練習を重ね4年生の時に関東大学リーグ2部の得点王 、及びベストイレブンに選出。さらに、デンソーチャレンジカップで、関東選抜として準優勝し、得点王、優秀選手に選ばれた。日本代表として韓国代表と戦う、デンソーカップ・日韓大学定期戦では、韓国代表を相手に2得点を決め、優秀選手、得点王、MVPに輝き、大学No.1FWとして注目を集めた。

2002年、デンソーチャレンジカップ後、複数のクラブから声がかかる中、FC東京の強化指定選手として、同クラブでの練習試合に出場。4得点を挙げる活躍で内定を得ると、同年11月よりFC東京と正式契約を結び、クラブに合流。流経大出身者としては初のJリーガーとなった。デビュー戦となる天皇杯の対湘南ベルマーレ戦では早速2得点。2003年にはカップ戦を含めて公式戦で2桁得点を記録。中心選手の1人として活躍したことで、クラブからの大きな期待を受け2004年には長年に渡りクラブを支えたFWアマラオの背番号11を引き継いだ。元日本代表FWの原博実監督からはヘディングシュートを直伝された。大分トリニータ、柏レイソルと渡り歩き、2008年湘南ベルマーレに完全移籍。湘南では自身初となるJ2でのプレーとなったが、反町康治監督の下、FC東京在籍時以来となるチームの一体感を得て、得点力と献身的な守備で貢献した。2009年J2最終節の水戸戦では、0-2でリードされた状況から、同点ゴールと逆転ゴールの2得点を決めて湘南をJ1昇格に導いた。2010年はチームで唯一リーグ戦全試合に出場し、チーム最多の9得点を挙げたもののJ2降格を喫した。J1でのプレーを希望し2011年はヴァンフォーレ甲府に期限付き移籍。先発出場を続けていたが 監督の交代と布陣の再編によって中盤以降は、途中出場で結果を出した。

2012年、ジュビロ磐田に完全移籍。動き出しの良さが評価され、切り札役として出場を続けた。2014年は磐田での日本人最年長選手となる中「初心に戻ろう」と背番号をルーキーの年にFC東京で着用した14番へ変更。磐田からは契約延長を打診されていたが、反町が指揮を執る松本山雅FCからのオファーを受け、2015年より同クラブへ完全移籍。チャントはサポーター間で新しく募集したが、「思い入れがあるのでこれにして欲しい」という本人からの申し出で、FC東京時代からずっと受け継がれてきたユニコーンの「人生は上々だ」が使われることになった。24試合に出場し、日本人最多の5得点を挙げたが、12月1日に現役引退を発表。引退の理由は、「『反町監督を男にしたい。山雅の力になりたい』と思い移籍して来ましたが、J1に残留する事ができず、僕自身の力不足を感じました。」とコメントし、FC東京から松本山雅までのチーム関係者や「最後のチームを自分で選ばせて下さった、ジュビロ磐田の関係者」などに感謝の言葉を贈っている。

Jリーグ時代

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